📌 この記事でわかること
- 思春期の発達障害の子に、手をかけるほど動かなくなった経験
- 声かけをやめる、という判断をした理由と、そのこわさ
- 手を引いても切らない「細い糸」——わが家のいまの距離感
「どこまで手を出して、どこから任せればいいんだろう」。
思春期の発達障害の子を育てている方なら、この問いを毎日のように抱えていると思います。私もそうです。過去形じゃなくて、現在形。ADHDの長男は今、高専2年生で寮にいますが、距離感はいまだに手探りです。
だからこの記事には、正解は書いてありません。書けるのは、揺れながら「手を引く」を選んできた、わが家のこれまでと今だけ。それでも、同じ問いの中にいる方の、何かの参考になればと思って書きます。
🌀 手をかけるほど、動かなくなった
長男の中学時代は、親としていちばん力の入っていた時期でした。勉強しない、提出物を出さない、何を言っても「うるさい」。心配だから声をかける。かければかけるほど、あの子は動かなくなる。
不思議なもので、こちらの熱量と、本人のやる気は、きれいに反比例していました。親が騒ぐほど、本人は貝になる。あとから思えば、あれは思春期と特性の両方だったんでしょう。指示や小言は、あの子の耳を素通りするどころか、心の扉を閉める方向にしか働いていませんでした。
🤐 「言っても無駄」なときは、待つと決めた
さんざんぶつかった末に、中学のある時期、私は決めました。「言っても無駄」なときは、口を出さずに待つ、と。
あきらめたのとは、少し違います。言っても動かないどころか逆効果なら、言わないほうがまだいい。そういう消去法の末の「待つ」でした。実際、中3の夏休みも、ダラダラする長男に何も言わずに耐えました。あれは親の修行みたいな時間でした。
結果として、長男のやる気に火をつけたのは、私の言葉ではなく、オープンキャンパスで見た高専の寮と、本人の「行きたい」でした。親の声かけが点火装置にならない子もいる。うちの子はそうだった。それを認めるまでに、ずいぶんかかりました。
🏠 入寮で、物理的に手が離れた
高専に合格して、長男は入寮しました。ここで起きたことが、私の考えを大きく変えました。
朝、誰も起こさないのに、自分で起きる。誰も急かさないのに、学校に行く。家では母が何度起こしても起きなかった子が、です。
手が届かなくなったら、自分でやるようになった。皮肉といえば皮肉だけど、突きつけられた事実でもありました。私の手は、あの子の「自分でやる力」の芽を、知らないうちに摘んでいたのかもしれない、と。
もちろん、順風満帆ではありません。1年の後期はテンションが下がって、赤点も取りました。それでも、先輩にレポートを回してもらったりしながら、あの子はあの子なりに、あの場所で生きている。親の見ていないところに、あの子の生活がちゃんとある。それが分かったことが、次の決断につながりました。
✂️ 高専2年、声かけをやめた——こわさも込みで
2年生になるとき、決めました。学習面とお金面への声かけを、一切やめる、と。
勉強しなさいも、テスト大丈夫?も、言わない。お小遣いは定額だけ渡して、使い道には口を出さない。1年の春休みにお金の使い方をしっかり話し合った上で、あとは本人に任せることにしました。
かっこよく書いていますが、本音を言うと、こわいです。今も。赤点を取った子から、声かけを引き上げる。世間の「ちゃんとした親」の像とは逆方向かもしれない。また成績が落ちたらどうしよう、お金で失敗したらどうしようという不安は、消えていません。
それでもやめたのは、中学時代の教訓があるからです。私の声かけは、あの子には効かない。効かないどころか、関係を削る。だったら、失敗も含めて本人に返して、私は「何かあったときに戻ってこられる場所」に徹したほうがいい。そう考えました。
🪡 放任とは違う——細い糸は切らない
ただ、手を引くことと、放り出すことは違うと思っています。
LINEは毎日、続けています。スタンプ1個と、一言。往復2回くらいの、ささやかなやりとり。それでも「毎日つながっている」という事実が、細い糸としてそこにある。用があれば、あの子から電話がかかってきます。関係そのものは、むしろ中学の頃よりスムーズです。
口は出さない。でも、糸は切らない。見張りはやめて、見守りだけ残す。言葉にするとそんな感じでしょうか。あの子が振り返ったとき、ちゃんとそこにいる親でいたい。それだけは、手放さないでおこうと思っています。
⏳ テストの結果も、聞けないまま
この前、前期の中間テストがありました。結果は、知りません。できたのかどうかも、聞けていません。
聞きたい。ものすごく聞きたい。でも、ここで聞いたら、せっかく引いた手をまた伸ばすことになる気がして、のみ込んでいます。LINEのスタンプに、いつもどおりスタンプを返しながら、「元気ならいいか」と自分に言い聞かせる。そういう毎日です。
触れていい場所と、任せる場所と、実はまだ補助がいる場所。その線引きは、たぶんこれからも間違え続けると思います。間違えては引き直す。距離感というのは、一度決めて終わりじゃなくて、ずっと調整し続けるものなのかもしれません。
それでも、電話をくれること自体は、変わらずうれしいです。「金ない」の一言だけの連絡でも、「プリンタのインクどこ?」だけの用件でも、あの子から声がかかるたびに、まだちゃんと頼ってもらえているんだなと思う。手を引いたつもりでも、糸の先で何かあったときは、ちゃんとこちらに返ってくる。その手応えがあるから、今の距離感を続けていられるんだと思います。
次男はまだ中学生で、思春期はこれから本格的にやってきます。長男で学んだ「手を引く」の感覚を、そのまま次男に当てはめられるとは思っていません。同じきょうだいでも、頼っていい場所も、任せていい場所も、きっと違う。長男で覚えた型を、また一からその子用に調整し直す。次の思春期も、たぶん手探りから始まります。
🌙 手を引くことは、見放すことじゃない
思春期の子から手を引くのは、親にとって、手をかけるより何倍も難しいことだと思います。手をかけるのは、不安をなだめる行為でもあるから。手を引くとは、その不安を親が自分で抱えることだから。
それでも、寮で自分で起きているあの子や、用があるときだけかかってくる電話が教えてくれます。手を引いた分の余白で、あの子は自分の足で立つ練習をしている。私の不安と引き換えに、あの子の練習時間を買っている。今はそう思うようにしています。
答えは、まだ出ていません。この距離が正しいのか、正直分かりません。それでも、今日もスタンプ1個のLINEを送って、返ってきたスタンプ1個に、まあ元気なんだろうと思う。
同じように、手を出したいのをこらえている親御さんへ。その「こらえる」は、ちゃんと子育てだと、私は思っています。
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