発達障害育児あるある——ADHD・ASD、母の目線で集めた「うちだけじゃなかった」場面

ADHD長男の記録

📌 この記事でわかること

  • 発達障害の子を育てる母だけがわかる「あるある」を集めました
  • ADHD長男・ASD次男を育てた10年の実際の場面
  • 「うちだけじゃなかった」と思えるかもしれない話

発達障害の子を育てていると、誰にも話せないけど「わかる!」という瞬間がある。

笑えるものも、泣けるものも、全部ひっくるめて「発達障害育児あるある」として書いてみます。ADHD長男(現在高専2年)とASD次男(現在中2)を育ててきた私の目線から。

共感してもらえたら嬉しいです。

毎日の生活編

「今日どうだった?」→「普通」
何年経っても変わらない。「普通」以上の言葉が出たことがほぼない。でもたまに「あのさ」と話しかけてきたとき、それを逃さないようにしている。

水筒の中身が減っていない
ADHD長男の水筒は、帰宅後もほぼ満タン。熱中症で2回倒れて、それでも飲まない。「のどが渇いた」という感覚が届かない脳の仕組みだとわかったのは、ずっと後のことだった。

提出物を出した・出してない攻防が毎週ある
「出した」と言う。でも先生からメールが来る。連絡袋の底から3ヶ月前の書類が出てくる。もう怒らない。仕組みで補うしかないと学んだ。

「見て見て!」の動画が30分以上ある
ASD次男が差し出すスマホ。画面には次男の好きなバスケ選手のハイライト映像。見ているかチェックしてくる。全部は見られない。でも「すごいね」と言うと満足そうな顔をする。その顔だけで十分だと思っている。

服装に毎年同じ問題が起きる
ADHD長男は夏でも薄い長袖長ズボン。「暑くないの?」「暑くない」。冬でも同じ服。感覚過敏とはこういうことか、とわかるまで何年もかかった。

学校・支援機関編

担任が変わるたびに同じ説明をゼロから始める
特性のこと、配慮してほしいこと、過去に何があったか——毎年4月に一から話す。「また今年も」と思いながら、でも言わないと何も変わらないから話す。

保育園・学校の先生に「大丈夫ですよ」と言われるたびに何かが詰まる
悪意はない。でも「大丈夫」と言われるたびに「じゃあなんでこんなに大変なの」という気持ちが湧いてくる。誰かに「大変だよ」と言ってほしかった。

病院の待合室が戦場
ASD次男が幼かったころ、待合室に連れて行くたびに脱走・泣き・走り回り。「すみません、自閉症なので」と受付に毎回先回りして言っていた。あの頃の自分、本当によく頑張っていたと思う。

オープンキャンパスに連れていくまでが一仕事
「見るだけでいい」「嫌なら帰ればいい」と何度も念押ししながら連れていく。でも実際に見た子どもが変わることがある。ADHD長男がそうだった。「ここに行く」とオープンキャンパスの帰りに言った。

気持ち・親の内側編

怒ったあとの自己嫌悪が深い
怒っても変わらないとわかっている。でも怒ってしまう。そして「また言いすぎた」と布団の中で反省する。この繰り返しを何年も続けた。

怒ったあとの自己嫌悪

「この子にとっての普通」を見つけるまでが長い
世間の「普通」を基準にしている限り、しんどさが続く。「うちの子にとっての普通」が見つかったとき、少し楽になった。

「待つ」ことが一番難しかった
動きたい。何かしたい。でも今は待つ時期だ——それを自分に言い聞かせる時間が、子育ての中で一番消耗した気がする。

成長したなと思う瞬間に泣く
「友達できた」という一言。自分で起きて遅刻ゼロ。「もう一回やらせて」と粘れる姿。大きな成長じゃなくていい。それでも泣く。

「うちの子だけじゃないんだ」と知ったときの安堵
同じ特性の子を持つお母さんと話して、「うちも!」となる瞬間の軽さ。孤独が一番しんどい。「一緒だ」と思えるだけで続けられる気がする。

笑えるけど笑えない編

「前はそれでよかったじゃん」と言い返してくる
注意したら言い返してくる。「お母さん前は違うこと言ってた」も定番。これがADHDの「前と状況が変わればルールも変わる」という特性だとわかるまで、何年も喧嘩し続けた。

勉強しているかと思ったら全然関係ない動画を見ていた
何度経験しても驚く。でも怒っても無駄だとわかっているから、だんだん反応が薄くなっていく。

春休みに帰宅した子どもが「あの頃」に戻っている
高専に入って見違えるように自立していたのに、寮を出た途端に元通り。「寮のシステムが動かしていたんだ」と実感する春休み。毎年。

「どうせダメ」と言っていた子が「もう一回やらせて」に変わった
これが一番のあるある。時間はかかる。でも変わる。それを信じて待てたかどうかが、一番大事だった気がしている。

💬 Kimochi|発達障害育児のお母さんへ

「誰かに話したい」「これうちだけ?」——そんなとき、専門のカウンセラーにオンラインで話せる場所があります。

まず話を聞いてみる →

長男・次男それぞれのあるある

【ADHD長男】塾を「自分で減らす」と言い出した
受験半年前「週1にしたい」。1月には「休会したい」。私は黙って見ていた。結果合格した。本人が決めたことを信じるのが、ADHDの子育ての肝だと思っている。

【ASD次男】「あのさ、あれがね、すごくて」から始まる会話
主語がない。唐突。文脈がない。何の話かわからない。でも10年かけて「訳し方」が上手くなった(母が😅)

【ADHD長男】帰省すると無気力、寮では別人
高専の寮では自分で起きて遅刻ゼロ。帰宅した途端に中学時代の無気力に戻る。「寮のシステムが動かしていた」——それを理解してから、帰省中は何も言わなくなった。

【ASD次男】初めての場所には必ず「流れの説明会」が必要
前日に「こういう順番で進むよ」と伝えると動ける。何も言わず連れて行くとフリーズする。これを知ってから、行事や検診前には必ず事前説明するようになった。

嬉しかった・変わったなと思う瞬間

「友達できた」——それだけのLINEが来た
長男が高専に入って数ヶ月後、短いLINEで「友達できた」と送ってきた。それだけ。でもそれだけで十分だった。

次男が「すごくない?」と聞いてきた
バスケの動画を見せながら「ここのドリブル、すごくない?」と聞いてきた。自分の好きなことを「共有したい」と思っている。それだけで嬉しかった。

「もう一回やらせて」と言えるようになった
次男の小1のWISC検査では「ほめてもらえるかを気にしていた」と報告書に書かれていた。それが小5の検査では「もう一回やらせて」と粘れる子になっていた。4年間で変わった。環境と関わりで、子どもは変わる。

帰省中の長男がLINEスタンプを送ってくる
「元気?」とは聞いてこない。でもたまにスタンプが届く。それが長男式の「生きてるよ」の合図だと今はわかる。

まとめ

あるあると言いながら、全部しんどかった場面です。

でも不思議と、時間が経つと「あのときそうだったな」と思えるようになる。渦中にいるときは全然そう思えないけれど。

「これ、うちだけじゃなかったんだ」と思ってもらえたら嬉しいです。発達障害育児10年の母から、同じ場所にいるお母さんへ。

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