📌 この記事でわかること
- 発達障害の子の幼児期育児がどれほど過酷か(体験談そのまま)
- 疲れ果てた中で使ってよかった時短サービス・グッズ
- がむしゃらに頑張った先に、自分の時間が戻ってきた話
※本記事にはPRが含まれます
「発達障害の子育て、疲れた」
その言葉を検索してここに来てくれたなら、今あなたはきっと、ギリギリのところにいると思います。
疲れていい。
限界を感じていい。
それは、あなたががんばっている証拠だから。
ADHD長男、自閉症次男の幼児期、毎日が限界だった頃の話をまとめます。
😮💨 朝の5分が、50分になっていた
ADHD長男・ASD次男の幼児期、朝は毎日「戦場」でした。
次男を着替えさせて、朝食を準備している間に——気づいたらまたパジャマに着替え直している。
「え、なんで!?」
怒鳴りたい気持ちを抑えながら、また着替えさせる。
長男はというと、洗面台の前で歯ブラシを口に入れたまま、ぼーっと数十分。
「歯磨き終わった?」
「…うん」
(全然終わってない)
次男は「保育園いかない」とごねる。
長男は動かない。
ダッシュで保育園に送り届けて、そのまま仕事へ。帰宅後も、夕飯・お風呂・寝かしつけ。毎日戦争でした。

🏠 雑多な家を見てため息をついていた
掃除が行き届かない家。散らかったリビング。
「片付けたい。でも時間がない。体力もない」
ため息をついていたら、また次のタスクが来る。周りのお母さんたちは、なんでこんなに余裕そうなんだろう——そう思いながら、ただこなし続けていました。
🌳 土日が、一番しんどかった
「休みの日くらいゆっくりしたい」
でも発達障害の子どもたちがいると、休みの日こそ休めない。
公園に連れて行けば、次男が突然走り出す。追いかける。「待って!」
長男は動きたくないので、その場でぐずる。嫌がる長男を連れながら、走る次男を追いかける。永遠に歩き続けるような、終わりが見えない時間でした。
「仕事のある日より、休みの日の方がしんどい」——それが当時の本音です。

💔 ご飯が、おいしくなくなった
次男には不眠がありました。長男には夜尿がありました。
夜も満足に眠れない日が続いて——気づいたら、食欲もなくなっていました。
空腹を感じることのない時期が続きました。
食べなきゃいけないのはわかってる。でも、食べられない。体が限界を超えていたんだと、今ならわかります。
「いつになったら、私はゆっくりできるんだろう」
毎日そう思いながら、それでもまた朝が来て、また着替えさせて、また追いかけて。
🙈 周りの親子が、眩しかった
公園で見かける、きれいな服の親子。余裕そうにお茶を飲んでいるお母さん。
「なんで私だけ、こんなにしんどいんだろう」
比べていました。比べても仕方ないとわかっていても、比べていました。
でも今思えば——あの頃の私が必死だっただけで、余裕そうに見えた人たちも、それぞれの大変さを抱えていたんだと思う。
💡 疲れながらでも「これだけはやった」こと
しっかりした家事も、完璧な教育も、できませんでした。でも「自分を守るための工夫」はしました。
✅ 時短グッズを積極的に使った
掃除ロボットに任せてよかった。ドラム式洗濯乾燥機に変えてよかった。「完璧にやること」より「自分が倒れないこと」を優先しました。
✅ 食事は時には「作らない」を選んだ
毎日手作りなんて無理でした。そこで頼ったのが、ミールキットや食材宅配サービス。中でも食材宅配サービスは助かりました。簡単な調理だけで栄養バランスの取れた食事が完成する。「献立を考える余裕がない日」に本当に支えになりました。
✅ 完璧な教育は、諦めた
「もっとちゃんとやれたら」と思う気持ちはありました。でも、生きていれば十分。ご飯を食べさせていれば十分。保育園に送れていれば十分。そう思うことで、自分を守っていました。
🌸 がむしゃらに頑張った先に
あの頃から何年も経った今。昨年から急に、「自分の時間」ができました。
朝、子どもを気にせず起きられる。夜、自分のペースで眠れる。
当時の私が聞いたら「夢みたいな話」って思うはず。
今でも、他のご家庭のお母さんに比べたら、やることは多いかもしれない。でも確かに、あの頃とは違う。あの「永遠に終わらない気がした毎日」は、ちゃんと終わりが来た。

💔 夫との関係——あのころ一番しんどかったこと
あの頃、夫は「なんとかなる」「俺がいれば大丈夫」というタイプでした。
でも当時の私には、「いや、全然大丈夫じゃない」という気持ちがありました。
子どもの特性を「個性」と言ってくれるのは嬉しい。でも毎日の大変さを、一緒に感じてほしかった。「わかってもらえない」という孤独感が、疲れに重なって本当にきつかった。
ぶつかることもありました。言いたくないことを言ってしまった夜も、何度かあります。
でも今思えば——夫なりに、必死だったんだと思う。
「大丈夫」と言い続けることが、夫の精一杯の支え方だったんだと、今はわかります。あの時期を一緒に乗り越えた夫婦として、あの頃があってよかった、と今は思えます。
🤝 助けを求めることを、自分に許可した
「頼るのは負け」「ちゃんとしなきゃ」という気持ちが、ずっとありました。
家事も育児も、自分でやらなきゃいけないと思っていた。サービスに頼ることへの罪悪感もあった。
でも限界を超えたとき、ようやく「頼っていい」と自分に許可できました。
家事は手抜きでいい。食事は宅配でいい。部屋が散らかっていても、子どもが生きていればいい。
「完璧なお母さん」より「倒れないお母さん」の方が、子どもにとってもずっと大事だと気づきました。子どもに必要なのは、完璧に整った環境より、隣にいてくれるお母さんです。
今、あの時期に頑張り続けた自分に言いたいことがあるとすれば——「よく生き延びてくれた」。それだけです。
⭐️ここが大事!
完璧なお母さんより、倒れないお母さんの方が子どもには大事。手を抜いていい、頼っていい。そう自分に許可することが、長く続けるための土台になります。
🌿 疲れた自分を責めないための「考え方の切り替え」
発達障害の子育て中、「もっとうまくやれたら」「私がちゃんとしていれば」と自分を責めることがありませんか。
私はありました。毎日のように。
でも今思うと、自分を責めていた時間ほど、子どもに穏やかでいられなかった。疲れと罪悪感が重なると、余裕がなくなって、ちょっとしたことでイライラしてしまう。
逆に「今日はこれでいい」と思えた日の方が、子どもとの時間に少しだけゆとりがあった。
❌ 「疲れているのは私がダメだから」
✅ 「疲れているのは、それだけ向き合っているから」
❌ 「もっとうまくやれたはず」
✅ 「今日の自分にできることをやった」
頭でわかっていても難しいのは知っています。でも、一日に一回だけでも「今日もよく頑張った」と自分に言ってみてほしいです。誰かに言ってもらえなくても、自分だけは自分の味方でいい。
🌙 夜中に「このまま壊れてしまうかも」と思った夜
今だから言えるんですが——一度だけ、本当に限界のときがありました。
次男の不眠が続いていた夜。長男も眠れなくてうろうろしていて。夫は仕事で遅くて。深夜2時に一人で子どもたちをなだめながら、「このまま私が壊れてしまうかもしれない」と思ったんです。
泣くエネルギーもなかった。ただ、呆然としていました。
翌朝、子どもたちを保育園に送って帰ってきて、ひとりで座り込んでいたとき——「もうできません、と誰かに言っていい」と、初めて思えた気がしました。
あの瞬間が、少しずつ「自分に頼ることを許可する」スタートだったかもしれません。
💬 「発達障害の子育て疲れた」と検索したあなたへ
この言葉を検索したということは、あなたも今ギリギリのところにいると思います。
「疲れた」と感じることは、弱さじゃない。「疲れた」と正直に自分で認められることは、むしろ強さだと私は思います。
発達障害の子育ては、定型発達の子の子育てとは違う種類のしんどさがあります。「なんでできないの」が続く日々、周りに説明できないもどかしさ、先が見えない不安——全部、本物のしんどさです。
⭐️ここが大事!
「疲れているから、いいお母さんじゃない」は間違い。疲れながらでも子どもの隣にいる。それだけで十分、すごいことだと思います。今日のあなたは、十分頑張っています。
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✅ まとめ
| あの頃感じていたこと | 今思うこと |
|---|---|
| 「いつゆっくりできるの」 | ちゃんと終わりは来た |
| 「私だけしんどい」 | 発達障害育児はそういうもの |
| 「完璧にやらなきゃ」 | 生きてれば十分だった |
| 「サービスに頼るのは負け」 | 頼って正解だった |
| 「夫にわかってもらえない」 | お互い必死だっただけ |
疲れているあなたへ——
今のしんどさは、がんばっている証拠です。完璧じゃなくていい。頼れるものに頼っていい。今日も子どもの隣にいられたなら、それだけで十分だと、私は思います。
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