極度の心配性は特性だった?子育てで気づいた“心配しすぎる私”のこと

ADHD長男の記録

📌 この記事でわかること

  • 子どもの頃から極度の心配性だった私のエピソード
  • 「大丈夫よ〜」な母にイライラしていた理由
  • 一人暮らしで心配が消えて「冷たい自分?」と悩んだ話
  • 心配しすぎと発達特性のつながりに気づいた経緯

※本記事にはPRが含まれます

「心配しすぎる自分って、おかしいのかな。」

子どもの頃、何度そう思ったかわかりません。

周りはみんな普通に過ごしているのに、私だけ頭の中で最悪のシーンがぐるぐると止まらない。なんでこんなに心配ばかりしてしまうんだろう。それが「性格」ではなく「特性」に近いものだったかもしれないと気づいたのは、発達障害のある子どもたちを育てるようになってから、ずっと後のことでした。

🏍️ 雨の日、父がバイクで外出した

雨の日に父がカッパを着てバイクで外出するとき、私は居ても立っても居られませんでした。

「スリップして転ぶかもしれない」
「車に巻き込まれたらどうしよう」
「今ごろ、どこにいるんだろう」

頭の中でそのシーンが何度もループする。父が無事に帰ってくるまで、何も手につきません。外を見ても父の姿は見えない。時計の針が進むたびに不安が大きくなっていく。

「大げさすぎる」のは、自分でもわかっていました。父は毎日バイクで通勤していて、今まで一度も事故に遭ったことなんてない。でも止められなかった。「雨の日だから今日は違う」という考えが、どうしても消えてくれないんです。

心配の波が来ると、それが収まるまで他のことが頭に入ってこない。父が帰ってきてドアを開ける音がして、初めてほっとする。そのくり返しでした。

😰 姉の帰りが遅い……警察に連絡すべきか本気で悩んだ

姉が学校から帰ってくるのが遅くなったある夕方のこと。

空が暗くなり始めたころ、私は本気で「警察に連絡した方がいいんじゃないか」と考えていました。

「事故に遭ったかもしれない」
「誰かに連れて行かれたかもしれない」
「何か悪いことが起きた、きっとそうに違いない」

頭の中でどんどん最悪のシナリオが展開されていく。実際は部活が長引いていただけだったのですが、そのとき私には「そうかもしれない」という発想がなかった。可能性があるとしたら、それは最悪の結末だけ。それがありありと浮かんでくる。

姉が「ただいま」と帰ってきたとき、私はほっとしたと同時に、「なんでこんなに心配してたんだろう」と少し恥ずかしくなりました。心配が空回りしていることは、わかっている。でもやめられない。その感覚がずっとありました。

🔒 2階の窓、かけたっけ?が止まらない

夜になると、決まって気になることがありました。2階の窓の鍵です。

「かけた記憶がない。泥棒が入ってきたらどうしよう」

その考えが頭に張り付いて離れません。確認しに行く。ちゃんとかかっている。「よかった」と思う。布団に戻る。でも5分も経たないうちに「本当にかかってたっけ?」とまた不安になる。

同じ心配が、繰り返し戻ってくる。この「ぐるぐると戻ってくる感じ」が、子どもの頃から慢性的にありました。鍵だけじゃなく、ガスコンロ、電気、玄関の鍵。確認するほど不安になっていく、あの感覚。

😤 母の「大丈夫よ〜」がどうしても信じられなかった

心配になるたびに、私は母に報告していました。

「ねえ、お父さん大丈夫かな。雨なのにバイクで行ったよ」
「お姉ちゃん、遅いよ。何かあったんじゃないかな」

母の返事は、毎回ほぼ同じでした。

「大丈夫よ〜」

……なんでそんなに平気なの?

心配していない母のことが、信じられませんでした。呑気というか、無責任に見えた。私がこんなにざわざわしているのに、なんでそっちは何も感じないんだろう。「大丈夫よ〜」の一言で片付けないでほしい。子どもながらに、そのズレがずっとイライラしていました。

今になって思えば、母は普通だったんです。でも当時の私にとっては、母の呑気さの方が「おかしい」に見えていた。

🏠 一人暮らしを始めたら、心配がぴたっと消えた

大学に入り、一人暮らしを始めた途端に、あの心配がぴたっと消えました。

「父がバイクで出かけた」「姉の帰りが遅い」そういう情報が入ってこないから、心配のしようがない。ただそれだけのことでした。

雨の日に姉の帰りを心配して待つ子ども時代のゆうこ

でも、そのとき私が感じたのは安堵ではなく、不安でした。

「心配しなくなった。冷たくなってしまったのかな」

家族のことを気にしなくなった自分は、もしかして家族を大切に思っていないのかもしれない。一人暮らしで変わってしまった自分が、どこか怖かった。しばらくそれを引きずって、悩んでいた記憶があります。

「あんなに心配してたのに、なんで今は何も感じないんだろう」
「環境が変わったら心配しなくなるって、そもそも本物の心配じゃなかったってこと?」

答えが出ないまま、ただ時間が過ぎていきました。

💡 子育てをして、あのころの自分を思い出した

長男がADHD、次男がASD。二人の特性と向き合う中で、私は発達障害についてたくさんのことを学んできました。

本を読んで、専門家の話を聞いて、支援について調べて。子どもたちの特性を理解しようとするほどに、気づいてしまったことがありました。

「あ、これ……私にもある」

子育てを通じて自分の特性に気づく38歳のゆうこ

長男の「忘れたかもしれない」という強い不安。次男の「いつもと違う」への強い拒否感。そういう特性の説明を読みながら、子どものころの自分が浮かんでくるんです。雨の日のバイク。帰りの遅い姉。鍵をかけたかわからない窓。

「あの心配しすぎる感じ……これって特性だったのかな?」

⭐️ 「心配しすぎ」と発達特性のつながり

発達障害のある人の特徴のひとつに、「不安の強さ」があります。

実際には起きていないことを「起きるかもしれない」と繰り返し考えてしまう——いわゆる反芻思考。ADHDやASDのある人は、定型発達の人と比べて不安を感じやすいと言われています。脳内の情報処理の仕方が違うために、「危険かもしれない」というシグナルが強く出やすいんです。

私は診断を受けていないし、「私も発達障害です」と断言するつもりはまったくありません。でも、子どものころの「心配しすぎ」は、性格の問題というよりも、脳の使い方の特性に近いものだったのかもしれない——今はそう感じています。

「大丈夫よ〜」な母に対して、当時の私がイライラしたのも、今ならわかります。母には心配が小さかったから平気だった。私には心配がとても大きく感じられていた。どちらが正しいとか間違いとかではなく、単純に感じ方が違っていたんです。

そして一人暮らしで心配が消えたのは、冷たくなったからじゃない。心配の引き金になるものが目の前からなくなっただけ。冷たくなったわけじゃなかった。

あのときの自分に、教えてあげたいです。「おかしくないよ。心配の種がなくなっただけだよ」と。

📚 発達障害の人が見ている世界(岩瀬利郎)

「なぜそんなことが気になるの?」と言われ続けてきた人に届いてほしい一冊。発達障害のある人の感じ方・見え方をわかりやすく解説してくれます。自分自身を理解するヒントにもなりました。

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「心配しすぎる自分っておかしいのかな」と感じているお母さんに、この記事が届いていたら嬉しいです。

性格が弱いわけでも、神経質すぎるわけでもないかもしれない。そういう脳の使い方をしているだけかもしれない。自分を責めることをやめる、小さなきっかけになれたらと思います。

焦らず、少しずつ自分のことも知っていけたらいいですね。

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