📌 この記事でわかること
- 発達障害育児の母親の必死さが「お受験」と同じくらい——いや、それ以上である理由
- 母親が実際にやっていること、見えない「メンタルロード」の正体
- 父親との温度差は責めたいわけじゃない、でも現実として存在する
- 誰も褒めてくれない中で続ける、その先にあるもの
お受験は母親の狂気、という言葉がある。
有名小学校・中学校の受験を目指して、母親が情報収集に奔走し、塾の送り迎えをし、子どもと一緒に勉強し、面接対策をする。その姿が「狂気」と呼ばれる。
笑い話になるくらい、世間に認知されている。
でも私は思う。
発達障害育児の母親の必死さだって、同じくらい——いや、もっと深いところで「狂気」に近いものがある。
なのに、あまり語られない。誰にも見えない。
お受験ママの必死さは「ネタ」になるが、発達障害ママの必死さは見えない
お受験の文化は、テレビでも本でも取り上げられます。専門の受験雑誌がある。ドキュメンタリーがある。「うちも大変だったよ〜」と笑い話にできる。受験が終わったら「お疲れ様」と労ってもらえる。
一方、発達障害育児の母親の必死さは。
笑い話にもならない。
誰かに話しても「大変そうだね」で終わる。どれだけ動いても、成果が目に見えないから、頑張っている姿も伝わらない。「障害があるんだから仕方ないよ」という言葉で、なんとなく片付けられてしまうこともある。
必死さが、見えない。そして終わりがない。
発達障害育児の母が実際にやっていること
「そんなに大変なの?」と思う人のために、具体的に書いておきます。
母親がやっていることの一部。
- 子どもの行動・言動を毎日観察して記録する
- 「この子はもしかして…」という違和感を抱えながら相談できる場所を探す
- 病院の初診予約が取れるまで何ヶ月も待ちながら、今できることを考え続ける
- 診察の付き添い・発達検査・薬の管理・副作用の観察
- 学校の担任・支援コーディネーターとの面談を申し込み、子どもの特性を毎年一から説明する
- 支援級か通常級か判断して、学校と交渉する
- 役所に行って、手帳・福祉サービス・放課後デイの申請をする
- 療育・通級・デイサービスの情報を集めて、見学して、申し込む
- 子どもが学校で傷つかないよう、先生に先回りして特性を伝える
- 友達とのトラブルがあれば、相手の親に連絡して動く
- 進路・就労・将来のことを、周りの親より何年も早くから考え始める
これ、全部「仕事」ではない。
誰にも頼まれていない。でも誰かがやらなければ、子どもが困る。だからやる。
そして、これに終わりがない。子どもが小さい頃だけじゃない。小学校・中学校・高校・就職——節目のたびに、また新しい戦いが始まります。うちの長男が高専に進んだときも、次男が中学に入ったときも、また一から動いた。慣れはするけれど、終わりはない。
さらに言えば、これをすべて頭の中で管理しながら動いている。
いつ病院の予約を入れるか。次の面談で何を伝えるか。来年の進路に向けて今から何をするか。常に「次の手」を考えている。子どもが寝た後も、家事をしながらも、買い物中も、頭の中はずっと回っている。
これを「メンタルロード」と呼ぶらしい。目に見えない、でも確実にある重さ。
自分のことは、後回しになる
気づいたら、自分の体調は後回し。
美容院に行く時間がない。友人との約束をキャンセルする。自分の趣味より、子どものことが先になる。それが当たり前になっていく。
「ちゃんと自分を大切に」と言われても、子どものことを考えると後回しになってしまう。それくらい、頭と体が「子どものこと」で埋まっている。自分が休めるのは、子どもの問題が一段落したとき——でもそのときはもう、次の問題が始まっている。
必死さが、そこにも出ている。
「狂気」と言われるくらい必死になるのは、当然
お受験ママが必死になるのは「子どもの将来を守りたい」から。
発達障害育児の母が必死になるのも、まったく同じ理由。
でも環境が違う。
お受験は、正解のルートがある。塾に行って、練習して、受かれば終わり。ゴールが見える。頑張りが結果に直結する。
発達障害育児に、決まったゴールはない。
どんな支援が合うのか正解がわからない。何年後に結果が出るのかもわからない。「これで大丈夫」と言ってくれる人もいない。むしろ「個人差があります」「様子を見ましょう」と言われ続ける。
それでも動き続けなければならない。不確かな未来に向けて、今できることを積み重ねていく。その繰り返し。
「狂気」にならない方がおかしい、と私は思っています。
父親の協力は大事。でも温度差は現実
責めたいわけじゃない。
夫がいてくれて、助かっていることはたくさんあります。
でも「父親が動く」ことと「母親が動く」ことの間には、多くの家庭で温度差がある。病院の付き添いは主にどちらが行くか。学校の面談はどちらが行くか。療育の送り迎え、福祉サービスの申請、日々の特性への対応——気づけば母親が担っていることが多い。
うちも、そうだった。
夫はできる範囲で動いてくれる。でも「全体像を把握して動く」のは私だった。情報を集めて、整理して、次の手を考えて、実行する。その一連の流れを頭の中で回し続けているのは、ほとんどの場合お母さんなんだと思います。
これは「父親が悪い」という話ではない。社会構造と、積み重なってきた性差の現実。
ただ、それをわかった上で言いたい。お母さんが必死になるのは当然なんです。だから、せめて近くにいる人には「わかってる」と言ってほしい。
誰も褒めてくれない戦い
お受験は、合格という結果が出る。「よく頑張ったね」と言ってもらえる瞬間がある。
発達障害育児の戦いに、わかりやすいゴールはない。
療育を何年続けても、すぐに目に見える変化が出るわけじゃない。学校との交渉をしても「うまくいった」とは言い切れない日が続く。子どもが少しずつ成長しても、「あなたの頑張りのおかげだ」と言ってくれる人はほとんどいない。
静かに、誰にも見えないところで、ずっと戦っている。
疲れたとも言いにくい。「大変だったね」と言われても、また明日も動かなければいけない。
でも。
続けてきたことが、どこかで形になる瞬間がある。長男が高専に合格したとき。次男の幼い頃の激しい癇癪が嘘のように落ち着いたとき。あのときの必死さは無駄じゃなかったと、そっと思えた。派手な「合格おめでとう」じゃなくていい。小さくても、確かな手応えだった。それだけで、また動ける。
必死さを、わかってほしい
「そんなに頑張らなくていいよ」と言われることがある。
でも頑張らないと、子どもが困るから頑張っている。
「もっと楽に考えて」とアドバイスされることもある。でも楽に考えていい場面と、必死に動かなければいけない場面は違います。診断を取るとき、学校に配慮をお願いするとき、進路を決めるとき——これは「楽に考えて」いい話じゃない。
必死になっているのは、子どもが大好きだから。その子の未来を、一ミリでも良くしたいと思っているから。
狂気と呼んでくれていい。それくらい本気で、子どもの将来と向き合っています。
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同じ気持ちのお母さんに、届いていたら嬉しいです。


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