発達障害の子を育てて、自分もグレーかもと気づいた話——診断なしのまま、それでも楽になれた理由

お母さんの気持ち

📌 この記事でわかること

  • 発達障害の子を育てるうちに「自分もそうかも」と気づくのは珍しくない理由
  • グレーゾーンのまま診断なしで生きることの葛藤と、私が感じてきたしんどさ
  • 長男と特性がそっくりで衝突した話——自分の嫌な部分を見ているようでつらかった記録
  • 診断がなくても「楽になれた」理由と、自分の特性を知ることで変わったこと

※本記事にはPRが含まれます

発達障害の子を育てていると、子どもの特性を調べているうちに、ふと自分のことが目に入る瞬間があります。

「あれ、これ……私のことじゃない?」

そう感じたことのあるお母さん、いませんか?

私は長男がADHDの診断を受けた小学3年のとき、そこから発達障害について本を読み漁るようになりました。子どもを理解しようとしていたはずなのに、ページをめくるたびにじわじわと気づいていく。「これ、私のことだ」と。

診断はありません。今も「グレーゾーン」のままです。でも、10年以上かけて少しずつ、自分の特性と向き合ってきました。

診断がなくても楽になれた。それが今の私の実感です。

「この子、もしかして」と調べていたら、自分のことが書いてあった

長男の診断が出たあと、私はADHDについて本を読み、ネットで調べ、発達外来の先生に質問しまくりました。

「忘れっぽい」「上の空になりやすい」「やるべきことの優先順位がつけられない」「人の話の途中から別のことを考えている」

……え、これ、私じゃないか?

子どもの特性を理解しようとしていたはずなのに、気づいたら自分の話になっていた。

学生時代、友人との会話でふとした一言のあとに空気が止まることが何度かありました。「まずいことを言ったかな」と思うのに、どの言葉が問題だったのか自分ではわからない。大きなトラブルにはならなかったけれど、いつも「気をつけなきゃ」という緊張感があった。

社会人になっても、なんとなく「場の空気を読む」のが他の人より一拍遅い感覚がずっとありました。「みんなはなぜそんなに自然にできるんだろう」と思いながら、必死に合わせていた。

振り返れば、「生きにくい」と感じた場面はたくさんありました。でも当時は、そこに名前をつけることができなかった。

発達障害の遺伝について調べると「親子で同じ特性を持つケースは多い」と書かれています。実際、夫方の義姉の次男も長男と特性がそっくりで、「あ、これは遺伝なんだ」と確信に近いものを感じました。

「私にも特性があるのかもしれない」
そう思い始めたのは、子どもの診断から少し経った頃のことでした。

グレーゾーンのまま診断なし——それが一番こたえた

「自分もそうかも」と思いながら、診断を受けていない状態は、思った以上にしんどいものです。

診断があれば、「あなたにはこういう困難があります」という社会的な認定があります。子どものように支援を受けたり、配慮をお願いしたりする根拠になる。

でも大人のグレーゾーンには、その根拠がない。

「気にしすぎかな」と自分を疑う。
「大人になってから診断を受けるのも…」と踏み切れない。
「でも、なんかしんどいのは事実だ」という感覚だけが残る。

⭐️ここが一番こたえました。

「私はただ要領が悪いだけなのか、それとも特性があるのか」

どちらでもない宙ぶらりんの感覚。子どもの支援に全力を注ぎながら、自分のしんどさを誰にも言えずに抱えていた時期がありました。

しかも、発達障害のお母さんが集まるコミュニティに行っても、「私も診断を受けたんです」「うちも遺伝かもしれなくて」という話になると、私は「診断なし」なので少し外側にいるような感じがしていた。

「発達障害の子の親」でもなく、「発達障害の当事者」でもなく、どこにも属せないような。

そのしんどさを、うまく言葉にできないまま過ごしていました。

長男と特性がそっくりで、衝突するたびに消耗した

長男と私は、びっくりするほど似ています。

頼まれたことを「やったつもり」で忘れる。
気がつくと上の空になっている。
何かに集中すると周りが見えなくなる。

そっくりだから、衝突します。

「なんで言ったことができてないの?」
「さっきも同じこと言ったよね?」

そう言いながら、心の中でどこかざわつく。

「あ、私、今自分の嫌な部分に怒っている」

子どもを叱っているはずなのに、実は過去の自分を責めている感覚。うまくできなかった自分への後悔と、目の前の子どもへのイライラが混ざり合って、何に怒っているのかわからなくなる瞬間がありました。

消耗するんですよ、これが。

長男と向き合うお母さんのイラスト

叱ったあとに「また同じことを繰り返した」と落ち込む。長男への申し訳なさと、うまくできない自分への情けなさが交互にやってくる。

でも今思えば、この衝突が「自分の特性をまともに見る機会」になっていたのだと思います。逃げられなかった、とも言えますが。

「自分の特性を知る」ことで、子どもへの見方が変わった

転機になったのは、長男のことを理解しようと読んでいた本の一文でした。

「忘れるのは、意志が弱いからでも、怠けているからでもありません。脳の機能の問題です」

子どものことを読んでいたのに、なぜか自分が救われた気がしました。

❌「私はだらしないんだ」
✅「そういう特性がある可能性があるんだ」

この認識の違いは、文字にすると小さく見えて、積み重なると全然違います。

自分への責め方が変わると、子どもへの声かけも変わりました。

「なんでできないの」から「どうすれば仕組みとして動けるか」を一緒に考えられるようになった。

それは、長男の特性を理解しようとしたことで、自分のことも少しわかってきたから。自分に似た子どもを育てているからこそ、わかることがあったんだと思います。

⭐️「自分のことを知る」のは、子どものためでもある。

この言葉は、今も私の中に残っています。

診断がなくても、楽になれた理由

私は今も診断を持っていません。でも以前よりずっと楽です。

何が変わったのか整理すると、こうなります。

❌ 「私が弱いから、うまくいかない」と思っていた
✅ 「そういう特性があるのかもしれない」と知識として受け止めた

❌ 自分のしんどさを言語化できず、誰にも言えなかった
✅ 「こういうところが自分は苦手かも」と少しずつ言葉にできるようになった

❌ 子どもの困りごとと自分のしんどさが混ざり合っていた
✅ 「子どもの話」と「自分の話」を分けて考えられるようになった

診断があると「あなたには理由がある」と証明されます。でも診断がなくても、「自分にはこういうところがある」と知るだけで、自分への責め方は変わります。

完璧に解決したわけじゃない。しんどい日もある。でも「なぜしんどいのか」がわかるようになったことで、やみくもに自分を責める時間が減りました。

それだけで、全然違う。

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同じように感じているお母さんへ

「発達障害の子を育てているうちに、自分もそうかもと思い始めた」

そう感じているお母さんは、きっとたくさんいると思います。

診断を受けるかどうかは、自分で決めていいことです。グレーのままでも、「特性があるかもしれない」と知識として受け止めるだけで、自分への見方が変わります。

子どものことを一生懸命考えているお母さんが、自分のことを後回しにしすぎていませんか。

子どもと向き合うために自分と向き合う——その順番が逆じゃなくてよかった、と今の私は思っています。

この記事が、少し「そうそう」と思ってもらえるものになっていたら嬉しいです。

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