📌 この記事でわかること
- 「発達障害の子には特別な才能がある」というイメージと現実のギャップ
- ASDの次男が小6から突然始めた色鉛筆画と、親が手を出さない理由
- 才能を「活かさなきゃ」と焦らなくていい、という話
※本記事にはPRが含まれます
「発達障害の子って、電車の駅名を全部言えたり、世界の国旗を全部覚えていたりするんでしょ?」
そういうイメージ、ありませんか。
私もどこかで期待していた。ADHDの長男か、ASDの次男か、どちらかに「これが天才エピソードだ!」という何かがあるんじゃないかと。
結果。
なかった。
少なくとも、私にはわからなかった。
うちの子に「天才エピソード」はなかった
長男(ADHD・不注意優勢型)は、何事も「面倒くさい」が口癖。唯一好きなパソコンにも、そこまで執着があるわけではない。
「好きなことには集中できる」とよく言われるけれど、長男に限って言えば「まあ好きだけど、面倒なことはやらない」という感じ。深くのめり込む、ということがほぼない。才能らしきものが見えてこない。
発達障害の診断がついた頃、私は「この子の得意なことを見つけてあげなきゃ」と焦っていた。療育の先生に相談したこともある。でも返ってくる言葉はいつも「今はまだわかりませんね」だった。
あのころ私はずいぶん空回りしていたと思う。「天才エピソードがある子」の話をSNSで見るたびに、「うちの子だけ何もないのかな」とちょっと落ち込んでいた。
じゃあ次男(ASD)は?と言われると——これが少し違った。
才能とは呼べないかもしれないけれど、幼児のころから「面白い子」だった。
次男の「頭の回り方」が面白かった
思いもよらないことをいきなり言うから、笑ってしまうことが多かった。
幼児期の次男には、怒りのレベルが3段階あった。
普段は「お母さん」と呼ぶのに、自分のやりたいことができないと「ばばあ」になる。そしてほんとうに怒ると——
「うんこ」
😂
さらに泣き喚く段階になると、「ちゃいろ〜!!」と大絶叫。
うんこ→うんこの色。この発想の流れ・・・
笑ってはいけないと思いながら、笑ってしまっていた。ASDと診断されて「知能が低め」と言われていた子が、こんなに独特の言語感覚を持っていたのだから。
頭の回り方が、おもしろいな、とは思っていた。ただそれが「才能」かどうかは、当時の私にはわからなかった。

小6から突然始めた色鉛筆画
次男が色鉛筆で絵を描き始めたのは、小学6年のことだった。突然だった。
描くのは自分が好きなものだけ。壮大な宇宙みたいな、独特の世界観がある絵が多い。でも、私に見せてくれない。
私がオープンに見られるのは5枚だけ。りんご、とら、バナナ、ぶどう、秋の味覚(柿と栗と落ち葉)。それ以外は、たまにこっそり盗み見している。
その絵が——上手い。
色の重ね方とか、陰影のつけ方とか、誰かに習ったわけでもないのに、独自の表現がある。見せてくれる5枚は、どれも食べ物や動物を丁寧に描いたもの。でも見せてもらえない絵は、もっと壮大で、もっと自由らしい。
写真に撮って身近な人に見せると、決まってこう言われる。「その道に行かせなきゃ」と。実家の母も、姉も、同じことを言う。
気持ちはわかる。でも私は、そうしようとは思っていない。
「才能を活かせ」への、静かな違和感
発達障害の子に才能が見えたとき、周囲はすぐ「活かしなさい」という方向に引っ張ろうとする。
でも私は思う。発達障害の子の才能って、生活に直結した形で「活かしていく」ものとは少し違うんじゃないかと。
絵が上手い、と気づいた瞬間に「美術教室に入れよう」「コンクールに出そう」ってなったら、それは親のペースで動いていることになる。次男は今、誰にも強制されていないから描いている。自分の部屋で、自分のペースで、自分だけの世界を作っている。
そこに親が土足で入ったら、どうなるか。「また次男のペースを乱してしまった」と後悔することになるのは目に見えている。ASDの子はとくに、自分のこだわりや世界に土足で踏み込まれることを嫌う。
⭐️ここが大事! 才能があることと、それで食べていけることは、まったく別の話。そして、才能があるからといって、それを仕事にしなければいけない理由もない。
次男は、絵を描くことが好き。それだけだと思う。「絵で将来どうにかしよう」なんて気持ちは、たぶん本人にはない。ただ楽しんで描いているだけ。
そこに私が「絵画教室に行こう」「美術の学校を見に行こう」なんて踏み込んだら——せっかくの趣味が壊れてしまう気がする。
「見せてくれない」のも、次男らしい。自分の世界を守りたいのだろうと思っている。私はそれを尊重したい。

才能は趣味のまま守ってあげていい
発達障害の子を育てていると、「何かで突出してほしい」「才能を見つけてあげなきゃ」と焦る時期がある。
私にもあった。でも今は思う。才能は、早く見つけなくていい。見つかっても、活かさなくていい。
本人が楽しんでいるなら、それで十分。
「才能があるんだから伸ばさなきゃもったいない」という言葉は、一見親切に聞こえる。でもその言葉の裏には「才能は使われるべきだ」という価値観がある。うちの子が楽しんでいるか、より先に、才能が「役に立っているか」を求めている。
発達障害の子は、日常のなかでいろんな壁にぶつかっている。そのなかで「自分だけの好きなこと」を持っていること自体が、もうすごいことだと私は思う。それを仕事にしなくても、誰かに評価されなくても、ただ好きで続けていられることが、その子の支えになっている。
余談だけど、次男はときどき「見て」と言いながら絵を持ってきてくれる瞬間がある。「いいじゃん」と言うと、なんとも言えない顔で自分の部屋に戻っていく。その顔がとてもかわいい。こういう小さなやりとりが、親子の時間の中で一番大切な瞬間だと思っている。
次男の色鉛筆画は、今のところ完全な趣味として見守るつもりでいる。盗み見しながら(笑)、こっそり「上手だな」と思いながら。
それでいいんじゃないかと思っている。
発達障害の子を育てていて「才能を見つけなきゃ」という焦りは、子どものためというより、自分の不安を解消したいだけだったりする。そのことに気づいてから、少し楽になれた。
📚 発達障害の人が見ている世界
発達障害のある人が世界をどう見て、どう感じているのか。当事者の視点から丁寧に書かれた一冊。「うちの子はなぜこういう行動をするんだろう」と思ったとき、ヒントになります。
長男も次男も、「才能」という言葉とは少し違う場所で、自分の好きなものを見つけてきた。それを親が先回りして「活かそう」とするより、ただそばで見ていることのほうが、長い目で見て大切なんだと思っている。
まとめ
✅ 発達障害の子に「天才エピソード」がなくても、まったく問題ない
✅ 才能が見つかっても「活かさなきゃ」と焦らなくていい
✅ 本人が楽しんでいる趣味に、親が踏み込みすぎないことも大切
✅ 才能は仕事にしなくていい。好きなものは好きなままでいい
「うちの子には才能がない」と思っているお母さんへ。才能の形は、ひとつじゃないですよ。うちの次男みたいに、誰かを笑わせる頭の回り方だって、立派な才能だと私は思っています。



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