📌 この記事でわかること
- 「普通の子のくくり」にいたママ友が、立場が変わって言った言葉の話
- 悪意のない言葉がなぜ複雑に刺さるのか
- 「普通の子を育てたことがないからわかんない」という返しに込めた本音
- 突然立場が変わったとき、人はどう感じるか
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ある日、仲良しのママ友から言われた。
「ねえ、○○ちゃん(私のこと)、子供が普通の子だったらよかったのになあって思うことある?」
保育園からの付き合いで、遊園地にも公園にも一緒に行った。悪意はゼロだった。でも、ドキッとした。
その言葉の重さを、今もときどき思い出す。
3人のママ友グループ——見えていた「くくり」の違い
保育園のころから仲良くしていたママ友グループがあった。私と、もう一人ASDの子を育てているママと、そしてこの「普通の子のくくり」にいたママの3人だ。
子どもたちを一緒に遊ばせて、公園や遊園地に出かけて、悩みもそれなりに話していた。表面上は仲の良い3人組だった。
でも今思えば、そのママの中には「くくり」があったんだと思う。私ともう一人は「発達障害の子を育てているママ」で、自分は違う側にいる——そういう線引きが、無意識にあったんじゃないかと。
一緒に遊んでいても、同じように子育てを話していても、心のどこかで「うちとは違う」と思っていた。それが悪意だとは思わない。ただ、そういう見え方をしていたんだと思う。
中1で不登校に——立場が突然、変わった
そのママの子が、中学1年生で不登校になった。
急なことだったと思う。小学校のあいだはなんとかやれていたのが、中学に入ったとたんに動けなくなった。その後、WISCの検査を受けて、「生きにくさ」が数値として出た。
ずっと「普通の子」だと思っていた自分の子が、実は私たちと同じ側にいた——そのことに、そのとき初めて気づいたんだと思う。
子どもは不登校からフリースクールへ。今後の見通しも立ちにくい状況で、そのママはずっと悩んでいた。
「まさか自分の子が」という気持ちは、想像するだけで苦しい。ずっと「普通の子」だと思って育ててきた。それが中学でひっくり返った。しかもWISCの数値を突きつけられて、「ずっとそうだったんだ」とわかった。そのショックは、診断を早い段階で受け入れてきた私たちとは、また別の種類のつらさがあると思う。
保育園のころからずっと「発達兄弟の子育て」をしてきた私や、もう一人のASDママ。そしてついこの間まで「普通の子のくくり」にいると思っていたこのママ。その3人が、同じ立ち位置に来た。
「普通の子だったらよかったのに」——その言葉の背景
そういう状況の中で、出てきた言葉だった。
「ねえ、子供が普通の子だったらよかったのになあって思うことある?」
私ともう一人のASDママは、長年この子育てをしてきた。ずっと「こっち側」にいた。そのふたりに、急に同じ側に来たこのママが問いかけた言葉だ。
孤独だったんだと思う。急に景色が変わって、頼れそうな人を探して、私たちに近づいてきた感覚があった。それは悪いことじゃない。でも、その言葉の中に「ずっとそっち側にいたんだから、わかるよね」という前提が透けて見えて、ドキッとした。
私の答えが、自分でも意外だった
「どうかな……うちは最初からADHDと自閉症だったからなあ。普通の子を育てたことがないから、わかんないわ」
そう返したとき、「あ、これ、本音だ」と思った。

長男の診断がついたのは小学3年生だけど、保育園のころから「この子はそういう子なんだろうな」と感じていた。次男も同じだ。「発達障害じゃなかったら」という仮定が、私の中にほとんどなかった。
普通の子を育てたことがないから、比べようがない。それは強がりじゃなく、ただの事実だった。
でもそれを言葉にした瞬間、あのママは少し黙った。私は言いすぎたかな、と思ったけど、彼女はすぐに「そうだよね……そっか……」と呟いた。なんとも言えない空気が、少しのあいだ流れた。
悪意のない言葉が、複雑に刺さる理由
あの言葉が今でも引っかかっているのは、悪意がなかったからだと思う。
「普通の子だったらよかった」という言葉は、裏を返せば「あなたの子どもは普通じゃない」ということでもある。頭ではわかっている。でも言葉の中に含まれる意味は、どこかにひっかかる。
⭐ 悪意のない言葉ほど、受け取るほうは複雑になる。反論もしにくいし、傷ついたことを責める気にもなれない。ただ、じわっと何かが積み重なっていく。
それに加えてこのケースには、もう一層の複雑さがあった。ずっと「くくりが違う」と思っていた人から言われた言葉だということ。それが、ドキッとした理由のひとつだったんだと、後から気づいた。
一緒に遊んでいたあの時間は、確かに楽しかった。でも向こうの心の中には「私たちは違う側」という線があったのかもしれない。それが今になってわかった。ずっと気づかなかったことが、少し悲しくもあった。
怒りは全くない。でも「そういうふうに見えていたのか」という、少しの寂しさは残った。
傷ついてもいい。それだけは言いたい
発達障害の子の親をやっていると、善意の言葉に傷つくことが多い。
「がんばってるね」「大変だったね」「うちの子は普通だから逆に心配で」——悪意じゃないのはわかる。でも受け取るたびに何かがすり減っていく感覚がある。
傷ついてもいいと思う。
悪意がないから傷つくのはおかしい、なんてことはない。そういうとき「気にしすぎ」と言われると、もっとしんどくなる。傷ついた自分の感覚を、ちゃんと扱っていい。
ただ、ひとりで抱えていると消耗する。誰かに話せる場所があると、少し楽になる。同じ境遇の人でなくてもいい。ただ「そうだったんだね」と聞いてくれる誰かがいるだけで、ずいぶん違う。
「うちは普通だから」が、ある日なくなるとき
あのママのことを、責める気にはなれない。むしろ、急に立場が変わった人の苦しさは、想像するだけで胸が痛い。
「うちの子は普通だから」という安心感は、子育てにとって大きな支えだと思う。それがある日なくなったとき、人はどれだけ揺れるか。そこへのWISCの数値。フリースクールという選択肢。「想定していた未来」と「今見えている未来」のギャップは、相当大きかったはずだ。
だからこそ、あの「普通の子だったらよかった」という言葉は、自分自身に向けられた言葉でもあったのかもしれないと、今は思っている。私への問いかけというより、自分の中にある気持ちを誰かに聞いてほしかったんじゃないか、と。
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まとめ
⭐ この記事のポイント
❌ 「普通の子だったらよかった」——悪意はなくても、受け取るほうには複雑に刺さる
✅ 傷ついた自分の感覚を責めなくていい
✅ 「普通の子を育てたことがない」は弱さじゃなく、ただの事実
❌ 善意の言葉だから受け流さなければ、ということはない
✅ ひとりで抱えず、話せる場所を持つことが長続きのコツ
あのとき返した「普通の子を育てたことがないからわかんない」は、強がりじゃなかった。ただ私にとっての現実だった。
急に立場が変わって、混乱して、頼れる人を探して——あのママの気持ちも、今はわかる気がする。でもあの言葉は、ずっと「こっち側」にいた私には、少し複雑だった。
同じように感じたことがある人に、届いていたら嬉しい。


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