幼児〜小学校時代
のんびり幼少時、テンポの遅れる小学生時代
🟧 発達の不安を抱えた保育園時代
長男がまだ保育園に通っていた頃、担任の先生からこんな言葉をかけられました。
「ちょっと発達面で気になることがあります。一度、福祉の方と面談してみませんか?」
当時の私は初めての子育てで発達障害なんて考えてもいませんでした。ただ、周りのお友達と比べると明らかに育てにくい子供ということは理解していたので「そんな大層な状態?これからどうなるんだろう・・」全くの無知。結局、そのときは言われるがままに面談をしてもらいました。定期的に面談して相談して行きましょう、とのことだったのでこれからずっとこの子の成長を見てもらって色々教えてもらえるんだなぁ、と全てお任せな思いでした。
🟧 小学校に入学、でも何かが違う
小学校に入ってからも長男はぼぅ、としていることが多く授業もうまく聞いていけない、忘れ物も多く学校生活のこともあまり理解していない様子のため学校のことを聞いても上手く話せませんでした。
担任の先生に相談しましたら長男の福祉の情報は全く聞いていない、とのこと。
保育園の時に卒園まで見てくれた市の職員さんは全く学校に情報を入れてくれていない?それか受けた小学校が担任の先生に情報を伝えていない?当然これまでと同じように長男の状態を共有して相談を続けてもらえると思っていましたので・・
若い担任の先生も「発達の相談については解らないので、と市の福祉のセンターに相談して下さい。」と。センターに行くと保育園と小学校では管轄のものが違うので、とまた一からの生まれた時からの話。時間を作って通いましたがフルタイムの仕事、手のかかる幼児の自閉症の次男(当時は診断されていませんでしたが明らかに長男より手がかかったので確信していました!)
当時の私は発達障害に関する知識もなく、なんとか毎日を過ごしていくのがやっとでした。
この頃仕事を制限しようかとも思いましたが子供達にはきっとお金がかかる、と行けるところまでは働こうと決めました。
🟧 小3で受診、やっとわかった「ADHD」という特性
小学校入学時から親の方針を夫と話し合いました。夫はあまり心配をしていなかったので私の意見に同意する形。きちんと受診し診断してもらう方が良いのでは、と。学校に長男の相談をするにも病院で診断されている方が協力してもらえる。相談しやすい。
それと長男の気持ち。成長してから診断されるより小さいうちの方が子供も受け入れられるのではないか、と考えました。
大学病院の小児科を受診。診断の結果は「ADHD(注意欠如・多動症)の不注意優勢型」
診断にショックはありませんでした。思った通りで正直、安心しました。
「親の育て方とか子供の頑張り不足ではない、特性だったんだ」とお墨付きをもらえた感じでした。
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