わが家が選んだ育て方と支援の道(幼児期〜小学校中学年)
1. はじめに:診断前でも特性に気づいたら
我が家では、長男・次男ともに幼児期に発達障害の特性が見られました。診断こそまだ降りていなかったものの、強い確信がありました。
2人はタイプこそ違えど、それぞれに支援が必要な状態で、私は「この子たちをどう育てていけばいいのか」を真剣に考え続けました。
2. 育児の方針:まずは「学習面の基礎力」を
最初に目指したのは「学習面の自信づけ」。
小さいうちは、算数ができるようになれば大丈夫かな。——3年生になれば教科が増えるだろうけど算数がしっかりできていたら困り事ができた時に考えても遅くないかな、と考えました。
幼児期に高学年になった時の困り事など想像できなかったのです。
それに算数が特化してできてればそれが自信になり、周囲からも“なめられない”と考えました。
3. 発達を理解する先生との出会いと学びの習慣づけ
友人の紹介で、発達特性に理解のある先生に出会い、算数に特化した通信教材を紹介されました。
- ひらがながある程度読める
- 数字が書ける
これらを目安に、長男(比較的スムーズに受け入れ)は年中から、次男(多動で拒否が強く無理強いはしませんでした)は小学校入学から開始。
プリントは毎日2枚。開始時の子供のレベルに合わせて進み方を先生が考えてくれました。解説を読み、自己採点。
3年生頃には2人とも声掛けのみで1人でこなせるようになりましたが、それまでは親が毎日ついて取り組みました。
『毎日学習する』習慣をつけるのも目的でした。
4. 診断と支援のきっかけづくり:大学附属病院への道
支援体制を整えるには“診断”が必要と考え、大学附属病院を目指しました。
しかし、地域の小児科では紹介状を書いてもらえず、別の理由で検査(MRI)を依頼し、その紹介状に発達の不安も添えてもらったことで、やっと大学病院への受診が実現。
- 長男:ADHDと診断(当時小3)
- 次男:年長で自閉症スペクトラムと診断
この診断により、学校や支援センターとの連携が一気にスムーズになりました。
5. 支援体制の現実と、親の立ち回り
我が市の支援体制は正直、手厚いとは言えません。
- 学校・センター・病院の情報連携はほとんどなく
- 面談でも「そうなんですね」で終わることも
- 担任によって対応の温度差が大きい
こちらから情報を取りに行き、面談を申し込む。聞きたいことを明確にしないと、子どもを“個”として見てもらえませんでした。
子供の状態と困り事、他人に手伝ってもらえて有効なことはあるか、どこに頼んでどう進めてもらったらスムーズか。等、診断を受けている、支援対象であることを認識してもらっていることを踏まえて過剰な要求にならないように考えて許される範囲を模索しました。支援児童のママたちと情報交換しました。
私は手広くママ友のいるタイプではないのですが一番の仲良しのママはネットワークが広く、相談したらある程度の情報を集めてくれるような頼もしい存在だったのが幸いでした。(長男と同級、その子も支援の子供です。)
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